うたかた。

ネクラな母ちゃん。涙で明日が見えない。

救いの手を差し伸べてくれるのはいつも君たちだけだった

私には
2歳下の弟と
6歳下の妹がいて

幸いなことに
きょうだい3人は仲が良いです。


と、いうのも
両親の喧嘩
(一方的に母がキレてるだけ)
を、毎日毎日見ながら育ってきた私達は

きょうだいで支え合っていないと
あんな家にいられなかったから。



そして昨日
私がこんな状況になってしまい
妹が心配して家に来てくれて。



一緒に育ってきたからこそ
分かってくれる部分がたくさんあって
本当に救われた。



この件に
妹を巻き込んでしまいたくなかったので
不安だったのですが

「私、あんまり気にしないから大丈夫」

と、笑いながら言ってくれた妹。



そんな彼女を
ずっと羨ましく思ってきた私。



妹のように
上手に生きられたらなぁって
いつも思ってた。



今でも覚えているのは
買い物に行った時

母が
「ドーナツでも買ってく?」
と、聞いてきて

「う~ん…いらない」
と、答えた私

でも、きっと妹なら
本当にいらなかったとしても

「後で食べるかもしれないから、いる!」

と、答えただろうな~
なんて考えたことがありました。



うちにはお金がない

って散々言われていたので
ドーナツひとつだって
自分から食べたいなんて
私にはとても言えなかったんです。



我慢することが当たり前で
甘えかたを知らずに育ったので
それが私なりの精一杯の答えなんだけど

きっと、そういうところが
母は可愛くないと思ってたって
なんとなく感じていました。


素直に答える妹のほうが
断然可愛かったはず。


結果、私とは
いつも反発しあってばかり。


結婚も、子供を産むのも
みんな妹のほうが先だったから

母から、妹と私を
比べられている感じもしていて

ずっと、そして今も
劣等感が消えない。



母本人は気づいてないけど

無意識に私を

お姉ちゃんなんだから
お姉ちゃんなのに

そういった扱いを
今でもちょいちょい
されているように感じる…



それは私が
トラウマから勝手に作り上げた
妄想にすぎないのかもしれないけれど。



妹と話をしていた時に
妹からこんな話を聞きました。


「多分、私が3歳くらいで
お姉ちゃんとお兄ちゃんが
二人正座させられてて
何かで叩かれてた

外にも出されて鍵も全部閉められて
中に入れないようにされてた

すごく衝撃的で、今も覚えてる。」



自分だって、子供育ててる時は
そんなんやってたんじゃん。


それなのに

「お母さんはそんなんじゃなかった!」

って責められても…


………ねぇ。

綺麗事を並べた過去に永遠の別れを

トラウマが毎晩私を襲ってくる



絶対許せない 憎い

それしか考えられない



感謝すらしていたのに
何故私がこんな気持ちにさせられるのか


とまで思う。



今の私の心には
あなたへの憎しみしか
わいてこないのです



ずっとずっとずっと我慢してきた

こんなにも苦しい思いを抱えて

幼少の頃から、ずっとずっと。




一度崩壊した私の精神


とてつもない拒否反応




未だに緊張が解けない

恐怖 不安 孤独感




私がこんなんだって
思わなかったでしょう?


そう言った私に


いや、分かってたよ?


だってさ。


吐き気がするわ。


分かってたなら
なんで助けてくれなかった?


ずっとずっと苦しかったのに


見てなんかいなかったくせに。


いや、見てたけど
見て見ぬふりだったのか。



そうだよね、あの時もそうだった。



塞ぎ混む私を見て
心配するどころか
まるでそこにいない人のように扱われた




見て見ぬふりしておきながら
今になって知ってたよって?



よくもそんなことを。



本っ当、気持ち悪い。




冷静になんて
しばらくなれそうにないわ

剥がれ落ちそうな心に

感情爆発
情緒不安定



嫌だったこと
悲しかったこと
不快だったこと

そんなことばかりが
頭に次々と浮かんでくる


振り払おうと頭ごと振ったら
とんでもない吐き気がした。



やり場のない怒りと
吐き出す所のないこの思い



抱えきれないものを抱えて
どうして生きていけば良い?



心の闇はどこにある?

深すぎて、光も届かない。



もし1度だけ
今の私が過去に戻って
私を助けてあげられるなら


真っ暗で狭い押し入れ

ごめんなさいと泣き叫び
助けを呼び続けたあの時


そう、あの時。



ずっと苦手だった。



真冬の車の曇りガラスに
「たすけて」って書いたら
誰か助けてくれるんじゃないかって
いつも思って書いてた。


今でも、いつも、ずっと苦手。



あなたの罵る言葉を聞くたびに
ひどく不愉快で
伝えようのないくらい
真っ黒い感情がわきあがった


そんな貴方を
軽蔑すらしていた。


娘を産んでから
感謝の気持ちこそ芽生えたけれど
今でも分かり合えたと
思えたことはない。


どうしてか、苦手。


苦手。苦手。苦手。苦手。



嫌いというより苦手。

恨みにも近い感情。



だから、
不安で不安で仕方がない。



繰り返してはいけない。

せめて、この子だけは。


何があっても守るよと
誓って産んだ最愛の娘。


なのに、どうしてだろう



精神が安定しない時

触られるだけで吐きそうになる。



こんなにも愛しい我が子を
抱くことすらできない

弱すぎる自分にまた吐き気がする。



どうやってここまで生きてきたのか
思い出せない



いや、思い出したくないのか。

思い出したら、気が狂いそうだ。



毎日、笑えてなかったもんな…



吐き出したら楽になるかなーと
書いてはみたけれど
かなり滅入っているのかも




あぁ、空も泣き出したよ


一緒に泣いて眠ろうか


深い、深い闇の中で


二度と、朝が来ないように。

子供の『なんで?』『どうして?』に答える。

以前、テレビで観たお話が印象的で
メモしていたことがあったので
今日はそれを書きたいと思います。


番組の内容は
『もし子供にこう聞かれたら
何て答えたらよいのか?』
子供の疑問に、儲名人の方数名に
答えてもらうといったものでした。


いくつかあったのだけれど
特に印象的だった質問は2つでした。


まず1つ目は


『なぜ勉強しなくちゃいけないの?』


これに関しての答えが


将来の自由な選択肢を増やすために
勉強が必要になってくる
勉強ができることは幸せなこと

嫌々やったことは身にならない
興味のあること、得意なことを伸ばす

親ができることは
選択肢を与えてあげる
得意なことを誉めてあげる

別のことをやりたいと
すぐ飽きてしまっても
どうせまた飽きちゃう←などと
可能性をつぶさないであげる


といった答えでした。


なるほど…


そしてもう1つは


『なぜ人を殺してはいけないの?』


これについては


人を殺しては
憎しみや怒りがが連鎖する
殺された人の家族が
殺した人を憎しみ
連鎖が続いたら
世界から誰もいなくなってしまう

人の痛み、悲しみを
わかる人になって理性を持つことが
怒りの連鎖を止める方法


といった答えでした。



確かに、子供の頃

『なんで?』『どうして?』
と疑問に思うことだらけで

純粋に知りたいから聞くのに
大人はみんな曖昧な答えしかくれず
なんだか腑に落ちない…

と思うことがよくありました。



我が子を育てていくなかで
必ず直面するであろう
『なんで?』『どうして?』の
純粋で素直な気持ちに

『なるほど。』
と思わせてあげられるような
答えができるのだろうか…



子供はそうして
大人から学ぼうとする姿勢を
見せてくれるけれど

大人って結構怠慢になりがちで
質問されたことに対して
適当に答えちゃったりすることが
多いんじゃないかな…


だから、しっかり子供に伝わらない。


子供にとっては大切な質問なのに
答えが曖昧で
なにも解決しないままでは
子供のやる気の欠如にも
繋がりかねないですよね。



子供同士で学べることもあるけれど
大人から教えてもらわないと
分からないことって
きっとたくさんあるんだと思います。


また、子供の疑問に答える大人側には
知識や教養も必要とされますよね…


やはり、一番重要なのは
『経験』なのではないかと思います。

色んな経験をしていたほうが
色んな人や物、出来事と出会える!
よって、色んな考え方もできる!


これは間違いないと思います。


知識や教養だって、経験したことから
身になるわけですからね。


経験から学べることって
たくさんある!!


娘の疑問に全力で答えられる
松岡修造さんばりのパワフルな母ちゃん
(ネクラだけど…)になるためにも
自分自身、もっと学べる機会を
増やしていけたらなぁと思います。

青空を心に描けるように。

思い付いたときにやる

大変なときこそ笑っている

挨拶をする

してほしくないことより
してほしいことを言う

プレゼントはその場で開ける

寝る前には楽しいことを考える

失敗は人に話す
人の失敗は話も明るく聞いてあげる

用件に入る前にお礼を言う

効きそうなものはなんでも試す

怖くなったら歌を歌う

目の前にいない人をほめる
悪口は絶対言わない

ほめられたことだけを覚えておけばいい

一番やりたいことを
一番最初にあきらめてしまっている

ピンチは通り過ぎるのを待とう

落とし物をした時 運がめぐってくる

「こうなればいいな」
「これが欲しい」 「こうなりたい」
と思うことは全部書く

自分でできないことだけ神様に頼む
いくら頑張っても
できそうにないことだけ神様に任せる
いつまでたっても実現しない願い事は
きっと自分にできることだから

これ以上頑張れない

母親である前に
わたしはわたしという人間

なぜそれを
みんな分かってくれないんだろう


母親なんだからやらなきゃ
母親なんだからできなくちゃ
辛いのは世の中の母親みんな同じ
みんなやってるんだから


って言われても


母親というわたしなだけであって

母親である以外は同じではないのに


わたしはわたしの性格の上で
こうして生きているのに


わたしという存在は
母親という名のもとでは
認めてもらえないようだ