うたかた。

ネクラな母ちゃん。涙で明日が見えない。

越えてはいけない線

 

張りつめた糸は

ほんのささいなことで

プツッ  と

容易く切れてしまう

 

 

踏みとどまれるか

そのまま越えるか

 

 

越えてはならないその境界線の

一歩手前に立ち続ける毎日

 

 

いっそのこと 越えてしまおうか

 

越えたところで

幸せにも 楽にもならないけれど

 

 

何があっても守るからね

と 自分でたてた誓いによって

苦しめられる毎日

 

 

望んだ幸せだったのに

身勝手に 投げ出したくなる

 

 

正気に戻ってみれば

何かにとりつかれたのかと思うほどで 

 

毎日 自分が自分でないようだ

 

私って どんな人だった?

そもそも 人なのかな?

鬼 なんじゃないだろうか

 

 

重すぎる責任が

全身にのしかかって

今にもつぶれてしまいそう

 

 

育児が楽しい だなんて

私には

嘘でも口にできそうにない

 

子連れに優しくない社会

 

車椅子とベビーカー

 

お年寄りと乳幼児

 

 

0歳の乳児を背負い

2歳の幼児をベビーカーに乗せ

5歳の幼児の手を引き

母1人で3人を連れていることは

楽なことに見られてしまう世の中なの?

 

毎日泣きたいくらいいっぱいいっぱいで

やっとの思いで外に出かけるのに

 

 

車椅子なんでそこ譲ってください

 

って威張って言わてしまったら

 

こっちは大変なの

あなた大変じゃないんだから譲ってよ

 

って言われているような気がしてしまって

 

とても悲しくなった

 

 

それは今の私が

精神力ギリギリで日々を生きていて

鈍感な世界に生きる敏感な人間で

さらに卑屈な人間だからなのかもしれないけれど

 

 

その場で言い返す術を持たない無力さに悔しさを覚え

こうしてブログに綴ることしかできないのだけれども

 

 

 

おもいやり

 

って いったい何なのかしら?

 

樹海の糸

 

 

「生んでごめんなさい」って言えよ

 

 

もし私が自分の子供にそれを言われた時

一体何を思うんだろう

 

どんなことがあっても守るからね

安心して産まれておいでね

 

そう言って撫でたお腹は

私の幸せの象徴だった

 

今は もう からっぽだけれど

 

 

私自身は

そんな気持ちで迎えてもらえたのだろうか

 

私なんて産まなきゃよかったのに

 

もう何千回、何万回と心のなかで叫んで生きてきた

 

それが今では

 

生んでごめんなさいって言わせたい

 

憎悪でしかなくなった

 

あの人が生きている間は

ずっと苦しまなきゃいけないんだ

 

なんで私が

なんで私だけが

こんなに苦しまなきゃいけないんだ

 

って。

 

あの人が生きている間は一生呪縛が解けないんだ

 

だから せめて

 

私に謝って あなたも苦しんで って

 

そんな風に思ってしまうほど

 

私の心は いま 限界に 近づいていて

 

 

こんな風になりたかったわけじゃない

 

 

私だって。 きっと。 そう。 

 

 

なんでもないことで 笑って 話して

 

ごはんは おかずがなくても

みんなで 笑って 一緒に食べて

 

みんなで 笑って 並んで 眠れたら

 

それだけで よかったのに

 

そうだったら よかったのに

 

 

だから せめて この子たちだけは

 

優しく 守ってあげられたら

 

 

強く 思うのだけれども

 

ここから走り出す力が欲しい

 

ようやくわかった

 

子育てが辛いんじゃない

生きるのが辛いんだ

 

子供たちが原因なんじゃない

私自身の

私だけの問題なんだ

 

そう、ただそれだけなんだ

 

こんなにも生きづらさを感じながら

生かされている私は

贅沢なのだろうか

 

こんなにも生きづらさを抱えながら

堪え忍び生きていくことが

当然なのだろうか

 

みんなどうやって生きているの?